下記に体験や感想をを記載していきます。よろしくお願い申し上げます。


不二阿祖山太神宮 由来と歴史 ホームページより記載 http://fujiasoyama.com/

 

始原神であり唯一神、宇宙の創造神たる「富士太神(不二太神)」を祀る日本最古の神宮である。不二高天原の御世は、凡そ三百万年前から二百万年前、此の地で国常立天皇により興され、富士太神(不二太神)を皇祖皇大神宮 別祖太神宮に祀り、祭政一致の神都として繁栄していく。

  ― 神皇紀に曰く ― 
『阿祖山太神宮は、地神第一代天照大御神の御宇、太御神親ら神祖神宗天太御神を高天原に奉らせ給ひし、神代唯一の大御社なり。
太御神は高天原小室阿田都山なる父太御神の止りましし、大御宮長日向の宮に止らせ給ふ。其傍に、宮殿を造営ましまして、神祖神宗代々の天つ太御神を奉らせ給ふ。之を高天原宗廟天社大宮阿祖山大神宮と名つけ祀らる。
後大柏木の下に、大神宮の宮殿を改造ましまして、更に、元宮阿祖山大神宮と改称あらせ給ふ。而して三品の大御を拝き、之を捧けさせ給ふを以て、儀典となすべし。且つ子孫代々、此の儀典を堅く守るべし。幾もなくして、太御神神避りましぬ。其心霊を、太御神の政所を設けさせ給ひし中室の麻呂山に奉り、麻呂山の神廟とぞ称し奉りける。』

 

皇統二十二代天疎日向津比売天皇(天照大神)が天変地異からの立て直しをされ、不二高天原から豊葦原瑞穂国と称し、社は不二山の鬼門(艮)に阿祖山太神宮と改称し建立される。
皇統二十四代天仁仁杵身光天津日嗣天日天皇(仁仁杵尊)が不二山に天降り、九州の高千穂へ天下りし、政治と軍事を阿蘇へと遷す。
皇統二十六代武鵜草葦天皇即位より、不二合朝(不合一代)の 御世が始まる。
皇統九十二代(不合七十三代)より、阿祖山太神宮神皇が橿原神宮に参じ即位式を斎行する。
人皇一代神武天皇により神倭朝が開かれる。
崇神天皇(人皇十代 皇紀五六四年~)、阿祖山太神宮より三種の神器御宝を笠縫の里(檜原神社)に遷す。
垂仁天皇(人皇十一代 皇紀六三二年~)、倭姫により檜原神社から三種の神器御宝が二十三箇所遷宮し、伊勢におさまる。
持統天皇(人皇四十一代 皇紀一三四七年~)の勅願文に「阿祖山神宮事 元宮先現太神」と記され、富士太神(不二太神)は元宮先現大神として祀られる。
奈良時代から江戸時代にかけて、富士太神(不二太神)の御名は、先現太神、仙元大神、浅間大神へと変遷していく。
延暦一九年からの大噴火により阿祖山太神宮は甚大な被害を受け、多くを焼失。江戸時代に入り衰退。後は、大元不二山元宮阿祖山大神社へと改称。
明治以降、幾度となく、再建運動が興されたが叶わず、平成十六年より崇敬奉賛会による再建事業が開始され今に至る。 

会報誌 不二5月号を拝読そして感想。( 不二阿祖山太神宮の6月は3日に月霊祭が行われます。 )  

 

ページ中頃に神道は宗教ではなく生き方そのものですと書かれていました 更に神道は宗教という概念はありませんでした。外国の影響によって、宗教という括りができました。明治40何年です。それまでは日本に宗教はありませんでした。教祖もなく1万年以上続いた生き方を宗教とはいわないのです。生き方なのです。仏教はお釈迦様という教祖がいますね。日本の神道には教祖はいません仏教でもキリスト教でも必ず教祖がいます。神道にはいないのですどうしてかというと自然と共に育んだ生き方そのものだからです。

 

と大宮司聖主様の分かり易い解説の言葉には なるほどとうなずくばかりです。原(ゲンじい)


不二阿祖山太神宮え 仁美母さんと娘の裕子さんと佐藤さんと参拝の1日。

4月1日家族4人で  不二阿祖山太神宮 の月霊祭に参加 この日は御神鏡を拝戴して我が家に神を迎え入れる記念すべき日です。1週間前に来た研修会の時は道路の端に山積になっていた雪も 今日はすっかり解けて跡形もない 日本晴れの澄み切った空でした。ご神鏡を入れるお社が未だ出来ていないので待ち遠しい気持ちです。月霊祭が終わって 一路 北九州に向かって出発する 富士山 下吉田から北九州は遠い 若さってすごいと思いました、この超 遠い距離を疲れているだろうに一言も口に出さぬ 顔にも出さず淡々と運転を続け 走るに走る北九州に向けて。この子たちのお陰で御神宝を我が家に無事迎えることができました。

2018年 元旦 および7日の富士山です。